「義理」の裏にある素顔:俳優キム・ボソンが語る無名時代の涙と恩師との絆

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キム・ボソン3部作|「義理」という言葉の裏側にある素顔 「義理」よりも先に、俳優を夢見た一人の青年がいた

無名時代、玄関先で流した涙

「撮影はうまくいったのか?」母親が玄関のドアを開けてくれた時にかけた、何気ない言葉でした。ムン・ヨソン監督の映画『君が望むなら』に端役で参加し、深夜に帰宅した息子に向けられたその一言に、キム・ボソンは涙をこぼしました。当時の彼はバスが途絶えた夜、漢南大橋を歩いて渡ることも珍しくない日々を過ごしていました。映画の演出部や劇団での雑用など、積み重なっていた苦労と悲しみが、母の温かい一言で一気に押し寄せたのです。キム・ボソンという名前からは、現在は力強い声と「義理」というキャラクターが連想されますが、その原点にはポスターを貼り、泥臭く汗を流した一人の青年ホ・ソクの時間が刻まれています。

演劇映画科への不合格が生んだ闘志

最初から俳優を夢見ていたわけではありません。高校3年生の時に経験した生死を彷徨う大事故をきっかけに、彼は「人は夢と希望を捨てたら終わりだ」という教訓を強く抱くようになりました。演劇映画科への志願に一度は失敗したものの、その悔しさが「簡単に退かず、最後まで見届けたい」という執念に変わり、彼を俳優への道へと突き動かしました。現場での仕事は過酷で、苛性ソーダを使ったポスター貼り作業で手のひらの皮が剥け、スタント撮影で負傷する日々でしたが、彼はその苦しみさえも成功の過程として受け入れていました。

キム・ボソン3部作|「義理」という言葉の裏側にある素顔 「義理」よりも先に、俳優を夢見た一人の青年がいた
(『幸福は成績順ではないでしょう』映画スチールカット)

恩師カン・ウソク監督と若き日の縁

そんな青年に映画界の扉を開いたのは、カン・ウソク監督でした。キム・ボソンは自身のキャリアを語る際、必ずと言っていいほど監督の名前を挙げます。1989年公開の『幸福は成績順ではないでしょう』で彼にチャンスを与えたのがカン監督でした。役を得た経緯を語る時も、彼は自分の力ではなく、周囲の人々や監督への感謝を真っ先に口にします。この当時、カン監督から「観客はお前のアクションを見ているのではない。作品選びの眼識こそが重要だ」という助言を受けたことは、後の俳優人生を大きく左右する指針となりました。

キム・ボソン3部作|「義理」という言葉の裏側にある素顔 「義理」よりも先に、俳優を夢見た一人の青年がいた
(『トゥー・コップス2』で演じた映画スチールカット)

代表作『トゥー・コップス2』と俳優のジレンマ

1996年の『トゥー・コップス2』のイ刑事役は、キム・ボソンにスターとしての名声をもたらしました。役柄への愛着は今も深く、彼にとって思い入れのある作品ですが、同時に「役のイメージが強すぎて、多様な役柄に出会うのが難しくなった」というジレンマも抱えています。主演作は映画20本、ドラマ10本に上るものの、世間からは特定のイメージで語られがちな現状に、俳優としての複雑な心境を吐露することもあります。

キム・ボソン3部作|「義理」という言葉の裏側にある素顔 「義理」よりも先に、俳優を夢見た一人の青年がいた

「義理」という名の生き様

キム・ボソンは、本名のホ・ソクで28年、芸名のキム・ボソンで28年を生きてきました。56歳の時には、自分を育ててくれた二つの名前に感謝し、統合を考えたこともあります。かつて自分の体を顧みずに無謀なアクションに挑んできた彼は、今、怪我の絶えない自身の姿を振り返りつつも、「誰に対しても恥ずかしくない義理の男として生きてきた」と自負しています。彼が体現する「義理」とは、単なるスローガンではなく、自分が受けた恩を忘れず、人としての道理を貫く生き方そのものなのです。かつて玄関先で泣いていた青年は、現在もなお、縁を大切にする誠実な俳優として、その温かい精神を多くの人々に伝えています。

ココナッツ編集室

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