ブラジルでの日常とK-POPとの出会い

ブラジルから韓国へ持ち込んだコーヒーメーカーを、BLACKSWAN(ブラックスワン)のガビは毎日愛用している。お気に入りの「ハワイアナス(Havaianas)」のビーチサンダルも一緒に持参した。BLACKSWANのメンバーとして活動するために生活の拠点を韓国へ移したが、使い慣れた品々は今も彼女の日常に寄り添っている。ステージ上で輝くガビの軌跡を辿ると、かつてブラジルでアーティストを夢見ていた一人の少女の感性と選択に行き着く。
幼少期からダンスと音楽に深い関心を抱いていたガビは、芸術に関する分野全般に興味を持ち、将来もそうした世界で働く姿を自然と描いていた。身近だったクラシック音楽をはじめ、インディーロックやポップロックを好み、ミュージカルを観に行く機会も多かったという。多岐にわたるジャンルの音楽に触れてきた経験が、現在のガビを形成する音楽的基盤となっている。
そんな彼女がK-POPと出会ったきっかけは、学校の友人からの紹介だった。ガビは音楽と視覚的パフォーマンスが高度に融合したスタイルに強い魅力を感じたという。聴く楽しさと観る楽しさが共存するステージの中で、特に彼女の心を捉えたのは韓国語特有の響きであった。
「特に韓国語がメロディーと調和して聞こえるところが本当に好きでした。」
単にK-POPのファンでいることにとどまらず、自らもアーティストとしてステージに立ちたいという情熱が芽生えたガビは、本格的に韓国へ渡ることを決意した。幼い頃に描いた「芸術の道に進む」という夢が、「K-POP歌手」という具体的な目標へと結実した瞬間であった。
近年、K-POP業界では世界中から才能を募るグローバルオーディションが一般化しており、南米出身のメンバーが大手・中堅事務所からデビューする事例も増加傾向にある。ガビの選択もまた、K-POPのグローバル化が生んだ代表的な事例の一つといえる。
父親の後押しで挑んだ最初で最後のオーディション

しかし、韓国行きを決意してからすぐに迷いなく行動できたわけではなかった。オーディションへの挑戦前には、不合格になることへの恐怖から多くの葛藤を抱えていたという。心から望む夢であればあるほど、結果に対する不安は大きくなるものである。その際、立ちすくむ彼女に一歩を踏み出す勇気を与えたのは実の父親であった。
「父の応援のおかげで勇気を出して挑戦し、無事に合格しました。K-POP事務所のオーディションは、その時が最初で最後でした。」
家族は異国の地で夢に挑むという彼女の決断を温かく支持した。ガビは現在でも家族からの変わらぬ応援が最大の原動力になっていると語る。渡韓を決意した当時を振り返る際、合格した喜びとともに鮮明に思い出されるのは、不安に揺れる自身を優しく支えてくれた父親の存在であった。
渡韓後、最初に立ちはだかったのは言葉の壁であった。所属事務所DR MUSICのユン・ドゥンリョン代表と初めて面談した際、ガビは韓国語を全く話すことができなかったという。極度の緊張で身体が震えていたが、代表が終始温かく迎え入れ、励ましてくれた記憶が今も強く残っている。憧れの業界で活動を始める高揚感と、見知らぬ環境に対する強い緊張感が交錯する時期であった。
韓国での生活に適応するプロセスにおいては、グループのメンバーや周囲のスタッフの存在が大きな支えとなった。周りの協力を得ながら一つひとつ課題をクリアし、自らの生活基盤とアーティストとしての日常を少しずつ築いていったのである。
言葉の壁を越えて掴んだ成長と事務所代表の言葉

ユン代表から掛けられた言葉の中で最も深く記憶に残っているものとして、ガビは自身の成長を認めてくれた言葉を挙げている。
「ガビ、本当によく変わったね。君が成長した姿を見られて本当に嬉しいし、今の君になったことが誇らしいよ。」
当初は韓国語も話せず緊張の面持ちだった彼女が、今やグループの中核を担うメンバーへと成長を遂げた。この言葉を大切に持ち続けているという事実自体が、過酷な練習期間を乗り越えてきた彼女にとってどれほど大きな救いであり、誇りであったかを物語っている。
友人に教わったK-POP、背中を押してくれた父親の言葉、そして韓国で出会った人々の温かい手助け。ガビの渡韓とデビューの背景には、本人の確固たる決意に加え、多くの人々の支えが存在していた。今も日常的に使うブラジル製のコーヒーメーカーのように、ルーツである故郷への愛着を保ちながら、彼女はK-POPアーティストとして歩み続けている。
異国の地で才能を開花させたガビの足跡は、グローバル化が進むK-POP業界における多国籍メンバーの成功例として、今後も多方面から注目を集めることになりそうだ。

