[韓国画家キム・ヒョンジョンが描く韓国の肖像③] 馬と言葉、女は言葉ですと言う

[韓国画家キム・ヒョンジョンが描く韓国の肖像③] 馬と言葉、女は言葉ですと言う
[韓国画家キム・ヒョンジョンが描く韓国の肖像③] 馬と言葉、女は口が達者だと言う(キム・ヒョンジョン、<おしとやか:女は口が達者だ>、130cm x 188cm、韓紙に水墨と淡彩、コラージュ、2015年/出典:キム・ヒョンジョンアートセンター)

デパート1階のブランドコーナー前はいつも賑わっている。新発売のバッグを直接見ようと長い列を作る人々、片手にはスマートフォン、もう片手にはカードを握っている。少し振り返ればダイエット食、運動アプリ、スキンケア広告が延々と追いかけてくる。 「食べる量を減らし、もっと美しくなり、賢く消費せよ」と説く時代だ。

だが奇妙なことに、誰よりも欲望を煽る社会が、女性の欲望の前では特にケチになる。バッグが好きなら虚栄心だと言い、美しくなりたいと言えば未熟だと言う。 「現実を見ろ」と言いながら、「現実的な女すぎる」とまた非難する。

私はその矛盾を一枚の絵に描きたかった。韓国馬事会とのコラボレーションで生まれた〈おしとやか:女ってやつは〉は、まさにその問いから始まる。タイトルからして遊び心がたっぷりだ。 「女って言うか」と口火を切る韓国語口語のリズムの上に、動物「馬」がそっと乗り上げる。馬と女、全く異なる存在のように見えて、実は妙に似ているのではないか。良いものに向かって正直になるその瞬間だけは。

絵の中の私は大きな白馬にまたがっている。赤いチョゴリを着て、その上にほのかに透ける墨色のスカートを重ねている。 馬の胴体はキャンバスの中央を長く横切り、画面のほぼ全体を占める。しかし視線を少し下へ移すと、二つの誘惑が床に置かれている。一つは馬の前に整然と置かれた艶やかな人参、もう一つは馬の蹄の脇にそっと落ちている赤いブランドバッグと花の刺繍が施されたハイヒールだ。

馬は躊躇しない。 首を深く垂れ、人参に向かってまっすぐ近づく。本能が導く方向をありのままに追う。一方、馬の上に座っている私は体を前に傾け、下をじっと見下ろす。私の目は人参ではなく、その横の赤いバッグと靴に釘付けだ。わずかに垂れた首、慎重に伸ばした指先、しかしまだ届かない距離。 この中途半端な間隔の中に「女の欲望」が潜んでいる。

馬が人参を好むことを誰も非難しない。「可愛い」「食べる姿が愛らしい」と褒めてくれる。だが女が鞄と靴を好むと言う瞬間、話の調子は変わる。「それで何が残るの?」「虚栄じゃないの?」という問いが付きまとう。 欲望の大きさが問題なのではなく、欲望を露わにする主体が誰かによって評価が変わるのだ。

〈おしとやか:女ってやつは〉はその点をそっとひねり直す。馬にとって人参は生命を維持する最低限のエネルギーなのか、それとも訓練を終えて初めて得られる報酬なのか。女のバッグと靴は単なる贅沢品なのか、それとも自らを飾り立て、世と向き合うための鎧のようなものなのか。 私たちはあまりにも長い間、他人の欲望には寛容でありながら、女性の欲望には道徳と理性の物差しを厳しく当てはめてきた。

私はこの絵を準備しながら、実際の騎手たちとインタビューをした。馬が角砂糖や人参のような甘いものを特に好み、人間のようにランニングマシンを走り、プールで水泳訓練も受けるという話を聞いた。その話を聞いた瞬間、馬が突然遠く感じられなくなった。 「ああ、馬も私たちと同じように世話をされ、甘いものには心が弱くなるのだな」その気づきが訪れた時、筆がようやく動いた。

だからこの絵は欲望の平行理論に近い。馬と女は異なる存在だが、好きなものに向かって目が輝くその一瞬は同じだ。 食欲であれ、物欲であれ、あるいは承認欲求であれ、人間と動物はその前で最も正直になるのかもしれない。私はその正直さを非難ではなく微笑みで見つめたかった。

その正直さは韓服のイメージとぶつかり合い、より鮮明になる。多くの人にとって韓服は今なお、端正さ、高貴さ、神秘性の象徴だ。 体を静かに隠し、行動を慎重にする服。しかし『おしとやか』シリーズでは、私はその韓服を着て階段を颯爽と登ったり、巨大なケーキをガブリと齧ったり、今回のように白馬に乗りながらバッグや靴を欲しがったりする。

その誇張された日常の中で、韓服はもはやおとなしい殻ではない。 私はまず人物をヌードで描き、その上に薄い韓紙を染色して貼り付け、韓服を着せる。半透明に透ける肌と皺は「その中身が丸見えだ」という言葉を視覚的に具現化する。社会が期待する端正な女性像の上に、実際に息づく欲望と感情がほのめかされる瞬間だ。

〈おしとやか:女ってやつは〉において、赤色はその欲望の温度を象徴する。チョゴリの赤、馬に敷かれた鞍、床の鞄と靴までが一つの色で繋がる。目立つこれらの赤は、馬の本能、女の好み、そして画面の外を見つめる私たちの視線を静かに繋ぐ。 何かを切望する時、私たちの目に映る色もこれほど熱くはないだろうか。

私はこの絵で伝えたかった。計算高い女性が非情なのではなく、女性が欲望を表に出せないようにする視線が非情だと。馬に人参を許すように、女性にも鞄と靴、あるいはどんな欲望であれ、もう少し寛大に許すことはできないだろうか。 欲望を隠さず「私はこれが好きだ」と言える社会、それが真に健全な共同体ではないだろうか。

今日のあなたの視線はどこに向けられているのか。馬のように甘い人参に向かって首を垂れているのか、それとも一度は心の中に抱いた赤いバッグと靴をこっそり思い描いているのか。

私は馬の上でそっと身を屈め、あなたは画面の前で一瞬立ち止まる。互いに違う場所にいながら、好きなものを見つめるその眼差しだけは似ている。本能と呼んでもいいし、趣味と呼んでもいい。

女は、そして馬は、正直であることが魅力なのだと、この一枚の絵で静かに伝えたかった。

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