
1980〜1990年代のイタリアサッカーの黄金期を牽引し、「リベロの伝説」と称されたフランコ・バレージ氏が、66歳でこの世を去った。
ロイター通信やAFP通信などは31日、バレージ氏の訃報を伝えた。昨年8月に肺結節の除去手術を受けた同氏は、その後免疫療法を続けていた。
バレージ氏が選手生活のすべてを捧げたACミランは同日、SNSを通じて「バレージ氏の訃報に、ACミランのすべての歴史が涙している」とし、「彼が見せてくれた誠実さは、彼の背番号6番のように永遠にクラブのDNAとして残るだろう」と哀悼の意を表した。
バレージ氏はACミランの下部組織で育ち、1978年に17歳でトップチームにデビューして以来、1997年に引退するまで一つのチームだけでプレーした代表的な「ワンクラブマン」である。1982年にACミランがセリエBへ降格するという試練を経験した際もチームを離れず、その後チームの復活を導き、クラブの象徴としてその地位を確立した。

20年間ACミランのユニフォームだけを着用した同氏は、セリエAで6回、ヨーロピアンカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)で3回の優勝を牽引し、15シーズンにわたってキャプテンマークを巻き黄金期を支えた。引退後、ACミランはクラブ史上初めて彼の背番号6番を永久欠番に指定し、その功績を称えた。
イタリア代表としても一時代を築いた。1982年のスペインW杯の優勝メンバーであり、1994年のアメリカW杯ではキャプテンとしてチームを決勝まで導いた。ただ、ブラジルとのPK戦でペナルティキックを外してしまい、準優勝に終わったことは心残りとして残っている。
バレージ氏は今年2月に開催された2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪の開会式で、インテルのレジェンドであるジュゼッペ・ベルゴミ氏と共に聖火を持って入場し、変わらぬ存在感を示していた。
イタリアサッカーを象徴する伝説たちも悲しみを隠せなかった。ACミランとイタリア代表で長年共にプレーしたパオロ・マルディーニ氏はSNSを通じて「バレージ氏は献身と真のリーダーシップの価値を示した人物だ」とし、「私が共にプレーした選手の中で最高のサッカー選手だった」と哀悼した。イタリアの伝説的なゴールキーパー、ジャンルイジ・ブッフォン氏も「バレージ氏と対戦した経験を通じて、リーダーシップと尊敬に基づいたサッカーとは何かを学んだ」と故人を追悼した。



