
北中米ワールドカップ第3戦の南アフリカ戦で、街頭応援に出た保護者に先日会った。その保護者は小学生と中学生の子どもを連れて光化門(クァンファムン)へ向かった。平日だったため、学校に体験学習届を出してのことだった。韓国が0-1で敗れた後、子どもがこう尋ねた。
「ママ、でもどうして韓国の選手たちは走らないの?」
保護者は答えられなかった。その保護者は「その日は子どもを連れて出てきた親が多かった」とし、「試合に負けたこともそうだが、一生懸命走らない姿に失望した人が多かった」と伝えた。また、「平日なのに休暇まで取って出てきたのに、裏切られた気分だという声も聞こえた」と付け加えた。
これまで韓国サッカーは、ワールドカップのグループリーグ、特に第3戦で凄まじい闘魂を見せてきた。グループリーグ突破がかかっていようが、すでに敗退が決まっていようが、選手たちは文字通り「死に物狂い」で走った。だからこそ勝利を収めることもあったし、敗れても「負けたがよく戦った」という称賛の中で拍手を受けてきた。しかし今回は、結果は言うまでもなく、内容も、内容以前に姿勢からして悪かった。

韓国の選手が相手選手に囲まれたら、助けに行くのは基本だ。助けるなと指示する監督など一人もいない。これは監督の指示ではなく、選手たちが自ら判断すべき基本中の基本である。交代を告げられた際に不満を露わにする姿も見苦しかった。気分を害することはあったかもしれないが、過度な動作で何かに苛立つのは間違った行動だ。それが監督に対してではなく同僚に向けたものだったなら、なおさらあってはならない。前の試合に出場できなかったからといって、練習を怠ったり体調管理を疎かにしたりするのは愚かなことだ。監督の構想から外れていようが、戦術が気に入らなかろうが、プロ選手であれば、いつかチャンスが与えられた時に自分の真価を見せようと、歯を食いしばって体を作るのが常識だ。いわゆる「選手」ならピッチで実力を見せるべきであり、ベンチにいる時はチームと同僚のために自重し、次への準備をしなければならない。

私たちはワールドカップ期間中、数多くのスター選手たちを見てきた。ごく一部のスターを除き、ほぼすべての選手は監督の指示を受け入れ、チームのために、同僚のために走った。韓国の選手たちよりも優れた選手、有名な選手たちも、苦しむ同僚を助けるために駆け寄り、同僚がいないスペースを静かに、かつ迅速に埋めていた。暑くて走れなかったというのも言い訳に過ぎない。韓国が暑ければ他の選手たちも暑いのだ。韓国よりも厳しい状況、過酷な日程、困難な組み合わせの中でも、一生懸命走り抜いて結果を出したチームは存在する。
選手たちは今回の失敗を痛感すべきだ。徹底的に自省し、自分が何を間違えたのかを考えなければならない。他人のせいばかりにする選手は絶対に成長できない。敗因を外部や他人に求め、自分には非がないと言っていては、反省も努力もできるはずがない。

韓国の選手たちは概ね「申し訳ない」と語った。「うつむく必要はない。君は悪くない」というファンの気持ちは理解できるが、それが選手としてより優れた選手に成長する助けになるのか考えてみてほしい。称賛や慰めも必要だが、時には叱責や忠告も必要なものだ。誰が見ても韓国代表の選手たちは大半が不振だった。個人の過ちや瞬間的なミスを指摘するつもりはない。選手たちも責任を痛感し、自身の態度について骨身に染みるほど自省すべきだという意味である。
選手たちは本当に最善を尽くしたのだろうか。記者はそうは思わない。最善を尽くした結果がこれなのか?信じられないし、信じたくもない。監督は戻ってこられないかもしれないが、選手たちは戻ってこなければならない。それこそが、選手たちが今回の失敗を自分自身の失敗として痛感し、徹底的に反省しなければならない理由である。


