「私の腕を救ってくれた」トミー・ジョン氏、自宅でホスピスケアを受けファンへ最期の別れ

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「私の腕を救ってくれたジョーブ博士に感謝」自宅でホスピスケアを受けるトミー・ジョン氏、最期の別れ
ニューヨーク・ヤンキース時代のトミー・ジョン。ゲッティイメージズコリア

74年、MLB初の靭帯再建術
手術から復帰後、第2の全盛期を謳歌
晩年の8シーズンはニューヨーク・ヤンキースで
「オールドタイマーズ・デー」イベントを通じて
ファンに最後の挨拶

野球ファンなら「トミー・ジョン」という名前はあまりにも馴染み深いだろう。肘の靭帯を痛めた投手が、いわゆる「トミー・ジョン手術」を通じて靭帯を再建し、選手生命を延ばすケースは現代野球において珍しくない。この手術名の由来となった元メジャーリーガー、トミー・ジョン(81)が、人生の終盤を迎え、ファンへ別れの挨拶を送った。

トミー・ジョンは1963年から1989年まで、実に26シーズンにわたりMLBでプレーし、通算288勝を挙げた不世出の左腕だ。MLBオールスターに4度選出されるなど、一時代を築いた偉大なレジェンドである。

LAドジャースの先発投手として活躍していた1974年、ジョンの野球人生に未曾有の危機が訪れた。投球の瞬間、「左腕が体から離れて飛んでいくような」凄まじい衝撃を覚えたのだ。左肘の尺側側副靭帯が永久的に損傷するという絶望的な怪我を負ったが、1ヶ月が経過しても患部は一向に回復の兆しを見せなかった。

ジョンは、ドジャースのチームドクターだったフランク・ジョーブ博士に手術を直訴した。当時のMLBでは、投手が肘を故障した際、手術よりも安静や緩和ケアで症状を抑えるのが通例だった。メスを入れることは選手生命の終焉を意味すると信じられていたからだ。しかし、ジョンは「手術なしでは二度とマウンドには上がれない」と確信し、未知のリスクを冒すことを決意した。

ジョーブ博士の当初の計画は靭帯の縫合だったが、手術の最中に損傷が激しく縫合不可能であることが判明した。そこで博士は、ジョンの右手首の腱を左肘に移植するという前代未聞の処置を断行した。こうして彼は靭帯再建術を受けた最初の野球選手となり、後にこの術式は「トミー・ジョン手術」という名で世界中に広く知られることとなった。

1975年のシーズンを回復に捧げたジョンは、1976年に見事マウンドへ復帰。31試合に登板して10勝を挙げると、1977年には20勝、1980年には22勝を記録するなど、不死鳥のごとき第2の全盛期を謳歌した。

キャリアの晩年をニューヨーク・ヤンキースで8シーズン過ごしたジョン。ヤンキースが毎年開催するレジェンドたちの祭典「オールドタイマーズ・デー」において、9日(韓国時間)、手紙を通じてファンへ最後のメッセージを届けた。MLB.comの報道によると、現在彼は自宅でホスピスケアを受けているという。

ジョンは手紙の中で、「皆さんに別れの挨拶をする機会をくれたヤンキース球団とスタインブレナー家、そして26年間の選手生活を支えてくれたすべての友人やファンの皆さんに心から感謝したい」と切々と綴った。

また、「私の腕を救い、投げ続けられるようにしてくれたフランク・ジョーブ博士に感謝する」と述べ、「その手術はその後、数多くの投手を救い、今日の一流投手の多くもその恩恵を受けている。本当に誇りに思う」と締めくくった。

Grey

Grey

K-pop & Sports Content Editor

worked in Asia National News Media since 2019
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