
韓国で現在、ある女性アイドルの何気ないひと言をめぐり、大きな社会的論争が巻き起こっている。慶尚南道巨済(コジェ)出身のガールズグループ「RESCENE(リセンヌ」のメンバー、ウォニ(22歳)が、自身のYouTubeコンテンツで恐怖を感じた際に故郷の方言で「무섭노(ムソプノ=怖いなあ)」と発言。この一言が、韓国のネット上で「特定コミュニティで使われるヘイト表現ではないか」という疑念を持たれ、政治問題にまで発展した。
この騒動の発端は、韓国のドキュメンタリー映画監督として知られるキム・ヒョンジPDが自身のSNSに「女性アイドルが『ノノ』とやり取りしていて残念だ」と投稿したことだった。自身を「慶尚道ネイティブ」と称する同PDは、「ヘイト表現が日常言語を汚染している」として、警鐘を鳴らした。これに賛同する形で、元大統領記念財団の理事を務めるチョ・スジン弁護士もテレビ番組で「あれは明らかに特定コミュニティ由来の表現だ」と指摘。しかし、その後、彼女は言語学者の見解を聞き「認識不足だった」と謝罪し、見解を撤回する事態となった。
問題の「무섭노」という表現について、韓国の言語学者たちは「慶尚道方言で自然に使われる感嘆形の語尾だ」と説明している。高麗大学のシン・ジヨン教授や慶北大学のキム・ドクホ教授らは、文法上の用法として問題がないと指摘。実際に韓国のSNS上では、慶尚道出身の多くの人々が「子供の頃から使っている」「80歳を超える祖母も使う」と証言し、過剰な批判に疑問を呈する声が相次いだ。
しかし、このような反論にもかかわらず、一部のネットユーザーは「疑問形にしか使えない」「単独での使用は不自然だ」などと主張を続け、グループに対して謝罪を求める声も上がっている。また、この問題には政治関係者も言及しており、イ・ジュンソク改革新党代表は「方言の語尾が政治的に疑われるのはおかしい」と述べ、緊急世論調査の実施を表明するなど、事態は政治的な色合いを強めている。
この出来事を日本で見ると、一国の言語文化をめぐる議論というよりも、韓国社会の鋭い分断を映し出す象徴的な事件として映る。地域による言葉の違いはどの国にも存在するが、それが特定の政治的イデオロギーと結びつけられ、即座に「差別的」というレッテルを貼られる風潮が、韓国には確かに存在している。特に、若いアイドルが故郷の言葉を自然に話したことが、意図せぬ形で「ヘイト表現」として糾弾される事態は、日本の読者にとっても他人事ではない。
日本でも、方言や世代ごとの言葉遣いの違いが時に誤解を生むことはあるが、それが特定の政治勢力やイデオロギーと直結し、公の場で非難されるという構図は、韓国社会の特異な緊張感を示しているように思われる。特に、この論争で「なぜ『ノ』という語尾が問題になるのか」と疑問を持つ日本の読者は多いだろう。それは、韓国のある極右コミュニティが過去に特定の政治家を揶揄する際にこの語尾を悪用した歴史があり、それが現在も「汚染された表現」として認識されることがあるからだ。
しかし、言語学者たちも強調する通り、特定のコミュニティが言葉を歪めて使ったからといって、その言葉自体が本来持つ地域的・文化的な価値を否定することはできない。今回の騒動は、韓国社会が言語の多様性よりもイデオロギー的な純潔性を優先させようとする際に、どれほど多くの軋轢が生まれるかを如実に示している。日本の読者にとっては、一国のアイドルグループをめぐる一見些細な出来事が、そのまま社会的分断の縮図として現れている点に、強い関心を持っていただけるだろう。
結局、この問題の本質は「方言が正しいか間違っているか」ではなく、「異なる背景を持つ他者の表現を、どこまで許容し理解できるか」という、より普遍的な問いでもある。韓国社会がこの論争を通じてどのような結論に至るのか、そして、日本のように多様な言語文化を持つ社会にとって、この事例がどのような示唆を与えるのか―。引き続き注視していく必要がある。


