モドリッチ、最後と目されたW杯で輝いた闘志…32強で終えた「ラストダンス」

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モドリッチ、最後と目されたW杯で輝いた闘志…32強で終えた「ラストダンス」
ルカ・モドリッチ。トロント|ロイター・聯合ニュース

激闘の終了を告げるホイッスルが鳴り響いた後、ルカ・モドリッチ(ACミラン)は悔しさを隠しきれず、しばらくの間ピッチを去ることができなかった。そんな彼のもとに、同じ時代を生きてきたもう一人の伝説、クリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)が歩み寄った。二人は深く挨拶を交わしたあと、しばらく言葉を交わし、再び抱き合って別れを告げた。

レアル・マドリードで共に欧州を支配した同僚であり、2010年代にはリオネル・メッシ(インテル・マイアミ)と共に世界のサッカー界の中心に立ったロナウドとの対決を最後に、モドリッチの北中米ワールドカップの旅は幕を閉じた。事実上のラストダンスとなったワールドカップは、ベスト32で終わりを迎えた。



クロアチアは3日、カナダ・オンタリオ州のトロント・スタジアムで行われたポルトガルとの2026 FIFA北中米ワールドカップ・ベスト32戦で、1-2の逆転負けを喫した。2018年ロシア大会準優勝、2022年カタール大会3位という輝かしい実績を持つクロアチアだが、今大会はトーナメント初戦で惜しくも敗退となった。

モドリッチは今大会が自身の最後のワールドカップであると公に発表したわけではない。しかし、1985年生まれで不惑を超えた彼が、4年後に再びワールドカップの舞台に立つことは容易ではない。そのため、誰もが今回が事実上、モドリッチにとって最後のワールドカップになると考えている。

モドリッチのサッカー人生は、最初から華やかなものではなかった。

1985年に生まれたモドリッチは、6歳の時に恐ろしい経験をした。彼の祖国クロアチアが1991年にユーゴスラビアからの独立を宣言した後、1995年までユーゴスラビア人民軍やセルビア軍を相手に凄惨な独立戦争を繰り広げたのだ。クロアチアでは数多くの死傷者や難民が発生し、国全体が戦火に包まれた。

自身の名前をそのまま受け継いだ祖父は、1991年にセルビア系の武装勢力によって銃殺された。モドリッチが住んでいた家も焼き払われた。家族と共に故郷を離れたモドリッチは、安ホテルを転々としながら難民生活を送った。

モドリッチ、最後と目されたW杯で輝いた闘志…32強で終えた「ラストダンス」
クリスティアーノ・ロナウド(右)と挨拶を交わすルカ・モドリッチ。トロント|AP・聯合ニュース

そんなモドリッチにとって、サッカーは唯一の楽しみだった。ホテルの駐車場で一人、壁に向かってボールを蹴りながら時間を過ごすこともあった。戦争はモドリッチの日常を奪ったが、サッカーまで奪うことはできなかった。

地元のクラブ、NKザダルでユース時代を過ごした彼は、2002年に16歳でクロアチアの名門ディナモ・ザグレブに入団した。しかし、すぐにレギュラーになれたわけではない。複数のチームへレンタル移籍し、厳しいプロの世界で経験を積んだ。その時間は、後に世界最高のミッドフィルダーを育てる土台となった。

その後、ディナモ・ザグレブのエースへと成長した彼は、2008年にトッテナムへ移籍し、イングランド・プレミアリーグ(EPL)に進出した。イングランドでも当初は「フィジカルが弱い」と評価されたが、特有の試合コントロール能力と広い視野、正確なパスで、周囲の疑念を実力で払拭した。

トッテナムで存在感を示したモドリッチは、2012年にスペイン・ラ・リーガの名門レアル・マドリードへ移籍し、全盛期を迎えた。そこでトニ・クロースと共に世界最高レベルの中盤を形成し、ロナウドやカリム・ベンゼマといった最高の選手たちと共にレアル・マドリードの黄金期を牽引した。

モドリッチのサッカーは派手ではなかった。しかし、卓越した脱圧迫能力と正確なパス、そして驚異的な運動量は、彼がレアル・マドリードの中盤の核として君臨する大きな要因となった。

モドリッチにとって最高の年は2018年だった。その年のロシア・ワールドカップでクロアチアを史上初の決勝進出へと導いた。フランスに敗れ優勝は逃したものの、最優秀選手(MVP)にあたるゴールデンボールを受賞した。そして、メッシとロナウドが10年間独占してきたバロンドールの主人公となった。

4年後のカタール・ワールドカップでもモドリッチは輝いた。クロアチアをベスト4まで導き、最終的に3位で大会を終えて健在ぶりを誇示した。特にブラジルとの準々決勝は、彼がなぜ世界最高レベルのミッドフィルダーなのかを証明する試合だった。

北中米ワールドカップでも、彼はキャプテンマークを巻き、ピッチを駆け回り続けた。彼に対する同僚たちの尊敬の念は非常に大きい。パナマとのグループリーグ第2戦で、史上4人目となるAマッチ通算200試合出場を達成した際、同僚たちが彼を胴上げするシーンは、クロアチアサッカー界において彼がいかに象徴的な存在であるかを物語っている。

モドリッチ、最後と目されたW杯で輝いた闘志…32強で終えた「ラストダンス」
ルカ・モドリッチ。トロント|新華社・聯合ニュース


Grey

K-pop & Sports Content Editor

worked in Asia National News Media since 2019
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