
数多くのプロ野球選手の選手生命を救い、スポーツ界に計り知れない変革をもたらした「トミー・ジョン手術」の代名詞として知られる、メジャーリーグ(MLB)の伝説的な左腕トミー・ジョン氏が、83歳でこの世を去りました。
AP通信は17日、ジョン氏のエージェントであるマイク・マグワイア氏の言葉を引用し、ジョン氏が米フロリダ州ブレイデントンの自宅で16日夜に亡くなったと報じました。ジョン氏は最近、ホスピスケアを受けて穏やかな日々を送っていたとのことです。
ジョン氏はメジャーリーグで実に26シーズンにわたり第一線で活躍し、通算760試合に登板、288勝231敗、防御率3.34という輝かしい成績を残しました。その功績から、オールスターゲームにも4度選出されています。
1963年のデビューから1989年に引退するまで、クリーブランド、シカゴ・ホワイトソックス、ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキース、カリフォルニア・エンゼルス、オークランド・アスレチックスと、数々の名門球団の強固なマウンドを守り続けました。
しかし、彼が「トミー・ジョン」という名前を野球の歴史に最も深く、そして永遠に刻むことになったのは、その偉大な成績以上に、彼の身に起こったある画期的な「手術」によるものでした。
ドジャースに所属していた1974年、当時31歳だったジョン氏は、左肘の尺側側副靭帯(UCL)を大きく損傷しました。当時、投手にとって肘の靭帯断裂は、事実上の選手生命の終わり、つまり引退を意味する絶望的な怪我と考えられていました。
当時ドジャースのチームドクターを務めていたフランク・ジョーブ博士は、ジョン氏の右前腕から腱を採取し、激しく損傷した左肘の靭帯を再建するという、それまでにない前代未聞の画期的な手術を試みました。当時、ジョーブ博士が予測したこの手術の成功確率は、わずか「100分の1」程度に過ぎなかったといいます。
しかし、ジョン氏は約1年半に及ぶ過酷で血の滲むようなリハビリを乗り越え、1976年に奇跡のマウンド復帰を果たしました。靭帯再建手術(UCL再建術)を受けた投手がメジャーリーグの公式戦で先発登板を果たしたのは、これが史上初の快挙でした。
驚くべきことに、復帰後のジョン氏は手術前を超える圧倒的なパフォーマンスを披露しました。手術を受ける前までに124勝を記録していた彼は、復帰後にさらに164勝を積み上げたのです。1977年には20勝7敗の好成績をマークし、ナショナル・リーグのサイ・ヤング賞投票で2位に選ばれるほどの復活劇を遂げました。
このジョン氏の驚異的な復活劇以降、この術式は彼の名に敬意を表して「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになりました。現在に至るまで、大リーグでは2600人以上の選手をはじめ、世界中の数多くの野球選手がこの手術を受けています。大谷翔平選手やジャスティン・バーランダー投手、ブライス・ハーパー選手といった現代のスーパースターたちもまた、トミー・ジョン手術を経て復活を遂げ、現役生活を続けています。
通算2245個の三振を奪ったジョン氏ですが、残念ながら野球殿堂入りを果たすことはできませんでした。1995年から2009年まで殿堂入り候補として名を連ねたものの、最高得票率は31.7%に留まりました。それでも、彼の残したインパクトは殿堂以上の価値を持っています。
現役引退後は、ミネソタ・ツインズやヤンキースなどの名物解説者として活躍し、独立リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュで監督を務めるなど、最期まで野球への深い愛を注ぎ続けました。
一方で、ジョン氏は自身の名を冠した手術が、特に成長期の若い選手たちの間で過度に行われている現状に対して、深い懸念を抱いていました。2018年には、「プロ選手よりも、まだ若い子どもたちに自分の名前がついた手術が多く行われている現状は決して好ましいことではない。予防が最優先されるべきだ」と強い警鐘を鳴らしていたのも印象的です。
ニューヨーク・ヤンキースはジョン氏の訃報を受け、「彼の驚異的なキャリアと、手術後に成し遂げた不屈の功績は、世界中の数多くのスポーツ選手の運命を劇的に変えた。素晴らしい選手として、そして医学の開拓者として彼が残した輝かしい遺産を、私たちは永遠に記憶し続ける」と最大の敬意を表して追悼しました。


